2009年06月15日

江戸時代に鰹節を焙乾することが考案され

江戸時代に鰹節を焙乾することが考案され、現代の鰹節が生まれた。関東圏では江戸時代から明治時代にかけて、焙乾した鰹節(荒節)の表面を削り(裸節)、何度もカビを生やして熟成させ、水分を抜き乾燥させると共に雑味成分の分解を促して旨味を増す「枯節」の技法が発達した。数ヶ月にわたって4回以上のカビ付けを行った高級品は本枯節と呼ばれる。
刺身(芝づくり)
刺身は美味とされるが、近縁のサバと同様に傷みが早い。〆方(しめかた)の方法により味が大きく異なってしまうとされ、〆る方法は漁師の腕の見せ所となっている。
鰹の刺身は、本来皮付きにつくり(これを芝づくりという)、芥子醤油で食べることが古くは江戸の風俗であったが(英一蝶に「初鰹芥子がなくて涙かな」の句がある)、現代では鮪などと同様皮を落とし、生姜もしくはわさびで食べることが多い。特に生姜はカツオ料理の付け合せの代名詞的存在となっていて、カツオの旬の時期になると付随して生姜の売れ行きも伸びるほどである。
クラシック音楽
南極と北極
への付く言葉
ザ・和歌山
産業とは!
世界の演劇
慣用句集
かの付く言葉
七五三
靴に囲まれて
自転車
婦人科
香道
遺伝子疾患
洞窟
ジョギング
債券
クリケット
通訳
アメリカンフットボール

上記の食べ方以外に、醤油マヨネーズを付けて食べる事もある。これは昔、ある漁船の船員が誤ってマヨネーズを掛けたサラダに鰹の刺身を落としてしまい、食べてみたら不思議と美味しかったと言う伝えがある。
鰹のタタキ
一般にカツオを節状に切った後、皮の部分を藁などの火で炙り氷で締めたものを指す。また、鰹の産地によっては鰹の血合い部分を削ぎ集め、2本の包丁を使いまな板の上で細かく叩いて酢みそで和えたものをたたきと呼ぶ。
生利節(なまりぶし)
生節(なまぶし)、地方によっては「とんぼ」とも呼ばれる、ゆでて火を通し加熱した節の切り身。フキなどの春野菜と炊き上げると、季節の逸品料理として喜ばれる。
その他
鰹節の製作過程で余る腹皮、カブトと呼ばれる頭の部分、腸なども食材とされ、塩辛に加工される(腸の塩辛は商品名として「酒盗」とも)。また鹿児島・枕崎では、カツオの心臓は「珍子(ちんこ)」と呼ばれ、唐揚げや煮付けで食べられる。静岡県焼津ではカツオの心臓を「へそ」と呼び、おでんの具とすることもある。

利用 [編集]
インシュリンの精製
結晶インスリンの生成方法が発見されるまでの間は、カツオのランゲルハンス島から、糖尿病の治療に用いるインスリンが精製されていた時期もある。しかし、魚類のインスリンのヒトに対する効果は若干低く、魚からランゲルハンス島を集める作業に手間がかかることもあり、他の方法へと置き換えられた。

2009年05月30日

征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)は、日本の令外官の将軍職の一つ。

由来としては天皇に任命される軍事指揮官であるが、1192年から1867年にわたり幕府と呼ばれる武家政権を敷き、各々の将軍家が世襲君主として日本全土に政治的・軍事的に君臨した。

征夷大将軍は、奈良時代から平安時代には、東国に派遣された将軍の呼称の一つであった。略して将軍、公方、大樹、大樹公、御所などとも呼ばれた。征戎大将軍、征蛮大将軍、という名称の職はないが、類似した職に征狄大将軍(せいてきだいしょうぐん)や征西大将軍・征東大将軍がある。日本紀略の延暦11年(793年)2月17日の条に「征東使を改めて征夷使と為す」とあることから、征夷使(征夷将軍、征夷大将軍)と征東使(征東将軍、征東大将軍)は同質のものと解される。このほか、征夷大将軍に比する官職として、鎮守府将軍があるが、鎮守府将軍が平時における地方軍政府の最高責任者であるのに対して、征夷大将軍は非常時における地方軍政府の最高責任者である。

征夷大将軍は天皇の勅令によって任命された[1]。これを将軍宣下という。だが、武家政権下においては天皇の従順な臣下というよりは、天皇の統制者だった[2]。足利義満以後は、対外的には日本国王としての待遇を受けるのが通例であった。

また、江戸時代に至ると、将軍は実際上の国内統治権や対外的な君主としての代表権のみならず、政治的な権威の面でも天皇家を抑えるようになった。江戸幕府の確立以降、将軍宣下に当たっても勅使が江戸城に赴き、将軍が上座、勅使が下座に立つのが礼法であり[3]、天皇への書面上も『公方様より禁裏へ』と対等の文言を使い[4]、さらに秀忠・家光は天皇との会見の際、太上天皇と同様天皇と向かい通しで対面する[5]など、政治的権威の面でも天皇と同格に迄至った。しかし幕末には天皇家の権威が尊王思想の影響により回復し始め、勅使が上座に立ち、将軍が下座に立ち[6]、また将軍家茂上洛の際も、朝廷の高官たちが家茂への礼遇を低くする[7]という変化が見られた。
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鎌倉時代から江戸時代まで、幕府の長であり、武家の棟梁が位に就いて子孫が世襲する形を取った。だが、平氏政権と織豊政権は、征夷大将軍に任じられず、幕府を開かずに武家政権を確立した。一部の将軍は、天皇と同様、子供時代に将軍職につき、後継ぎに職を譲って引退した[8]。また、徳川将軍家には、天皇家と同様「御三家(ごさんけ)」という傍系の家門があった[8]。19世紀のはじめには、将軍職にも皇位にも傍系の出身者がのぼっている[8]。

江戸末期の徳川慶喜による大政奉還により江戸幕府が事実上消滅し、さらに王政復古の大号令を発令した明治新政府によって征夷大将軍の官職も廃止された。これにより、武士、武官が征夷大将軍に任ぜられて、武家政権の幕府を開設する幕府制度も正式に消滅した。

武家政権下での将軍家と天皇家の関係は、イスラーム世界におけるブワイユ朝からマムルーク朝にいたる王家とアッバース朝カリフ家との関係に酷似している。前者が政治的権力・権威を持ち、君主として支配すること、後者はかつて君主として実際的な支配権を持っていたが、現在では支配権を失い、前者に対し名目上優越し、超越的権威の裏づけを与える役目を持つにとどまること、そして後者が神や預言者の血族という神聖な起源に由来する超越的・宗教的権威を持つ家系であることが、その類似点である

2009年04月26日

東晋(とうしん 317年 - 420年)

東晋(とうしん 317年 - 420年)は、中国の西晋王朝が劉淵の漢朝により滅ぼされた後に、西晋の王族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である。西晋に対し史書では東晋と称し区別する。

永嘉の乱により洛陽が陥落、懐帝が捕虜となり西晋は316年(建興4年)に事実上滅亡した。その際に西晋琅邪王であった司馬睿は、江南の建業(現在の南京)に逃れ、琅邪の豪族王氏出身の王導の助力を得て317年(建武元年)に東晋を建国した。東晋は約100年、11代にわたり、華北から逃れてきた北来の勢力と江南土着の豪族勢力との協力によって運営された。

当時江南(長江流域)は中原(黄河流域)と比較し人口が希薄な後進地域であり、漢末には華北からの避難民により一時的な人口増加が見られるが、三国時代に社会の安定を見ると華北からの流入者が帰還したことで呉朝衰退の原因になった。東晋はこの経験より、華北からの避難民に対して初年を免税にするなど税制上の優遇措置を設け、積極的に流民の受け入れると同時に開墾奨励の政策を実施した結果、元来温暖な気候と水資源に恵まれた地域であったため、華北に対抗可能な経済力を有するまでに急速に発展した。

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東晋中期には、一時的に華北統一を達成し前秦苻堅の公称100万とも112万とも称される大軍の攻撃をうけるが、この戦いでは前秦軍を撃退している(淝水の戦い)。後には経済的反映と華北の政治的混乱を利用し中原奪回に着手、一時的に桓温が洛陽を、劉裕は長安と洛陽の二大旧都を占領したが、国力の不足と指揮者の政治的事情により、共に占領の恒久化には失敗、中国統一は達成されず、旧都もやがて北方民族の軍により奪回された。

東晋は都城と国境が近接していることより北方からの攻撃を受けることもあり、政権はは不安定なものであった。328年(咸和3年)に発生した蘇峻の乱に際しては、後にこれを平定するも、都城が炎上する事態も発生している。『晋書』蘇峻伝によれば、反乱に際し百官が捕虜となり、都城は大規模な略奪を受け、士人・宮女らが衣服を剥がされて泣き叫ぶなどの惨状を呈し、「残酷無道」であったと記されている。その後も大規模な反乱が発生しており、324年(太寧2年)には土着勢力であった王敦の反乱により都城が陥落、399年(隆安3年)には孫恩が朝廷官人をも巻き込んだ孫恩の乱を起こし、江南一帯に被害を与えている。

朝廷内部では西晋同様に、貴族階級が要職を独占し、中でも土着勢力出身である王氏、謝氏、桓氏など有力氏族が大きな勢力となった。その反面、宗室の司馬氏の求心力は低下し、土着勢力、西晋の亡命貴族が司馬氏を推戴する形式となっており、、皇帝権力は限定的なものであった。また魏から帝位簒奪した司馬氏の歴史も皇室権威の低下につながった。

軍事面では、国防上の必要から都城周辺と荊州北部に二大駐屯地が設置され、一方を北府、一方を西府と称していた。402年(大亨元年)の五斗米道の反乱鎮圧や、417年(義熙13年)の後秦遠征の成功など経て共に政治的な強い影響力を有するようになり、政権内部での発言力が強まっていった。

東晋末期は、安帝より禅譲され楚朝を立てた西府軍の領袖・桓玄が劉裕により誅殺されると、北府軍を掌握する劉裕の勢力が強大となっていった。420年(元熙2年)、恭帝より禅譲された劉裕により宋朝が開かれ、東晋は滅亡した。

2009年04月10日

大浦事件

大浦事件(おおうらじけん)は、第一次世界大戦勃発を機に大日本帝国陸軍の師団増設案成立に関して、衆議院議員に贈収賄した大正時代の疑獄事件。高松事件ともいう。

1914年(大正3年)4月17日に、シーメンス事件が原因で総辞職した第1次山本内閣に代わり、元老井上馨の奏上により大隈重信に組閣を命じられ第2次大隈内閣が誕生した。 大隈は立憲同志会総理加藤高明の協力の下に組閣を進めた。当初の計画では内務大臣のポストに大浦兼武を予定したが、中正会所属尾崎行雄や立憲同志会所属大石正巳も内相を希望し、混乱を嫌い一刻も組閣を急いだ大隈は総理が内相兼務とし、尾崎に司法大臣、大浦に農商務大臣のポストを与える事で決着をみた。しかし、大浦は前警視総監で薩摩閥出身という経歴を臆面も無く前面に出し、大浦に反対する議員を脅すという自信過剰な性格が疑獄事件の伏線となった。

折から、ヨーロッパでは第1次世界大戦が勃発し日本は日英同盟の誼でドイツ帝国に対し開戦したが、陸軍は作戦上師団を増やす必要が有るとして、国会に2個師団増設案を提出したが、政府与党の国会議員で立憲同志会90名弱、中正会33名に対し、野党第一党の政友会は200名弱も議席を有し、国民党代表犬養毅と共に増設案に反対の立場を執った。結局、政友会と国民党の絶対多数で増設案は否決され議会は解散するに至った。

大石正巳は議会の解散と共に政界を引退したために、大隈は、大浦を内相、河野広中を農商務相、安達謙蔵を参謀長格に据え選挙戦に挑み、その結果、政友会は大敗して議席は半減して第二党に転落し、与党の絶対多数をもって増師案は可決通過した。

選挙後、大浦は政友会を懐柔し切崩すために複数の政友会所属議員に対し買収工作を行う。

事件の発覚 [編集]
政友会総務村野常右衛門は、大浦が香川県丸亀市から立候補した白川友一を当選させるために画策して、対立候補の加治寿衛吉に圧力を加え立候補を断念させる代わりに、見返りに白川から衆議院書記官長林田亀太郎を仲介して金一万円を出させたとする内容の告発状を検察当局に提出した事から事件が明るみに出た。

裁判と判決 [編集]
本事件で逮捕拘束された者は以下の者である。

大浦兼武、林田亀太郎、白川友一、増田穣三、森川源吾、吉田虎之助、水間此農夫、浜田政壮、村井善四郎、長谷川敬一郎、武市庫太、高鍋篤郎、板倉中、日向輝武、根岸君太郎、高津直次郎、関信之介、太田直次
被告は収賄罪で起訴され、高松地方裁判所で審理された。

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2009年03月26日

試合を続ける天使チームに所属する聖守

バグYヤー(声:楠大典)
「ストライクゾーン」で試合を続ける天使チームに所属する聖守。バット自体をうねらせてボールの命中率を上げるY字打法を持ち、強靭な筋力も相まって強打者として君臨していた。しかしタケル達が「ストライクゾーン」が訪れた時には、「混沌」で凶暴化した悪魔チームのラフプレーによって野球ボール恐怖症となっていた。
ホームランO(ーおう)(声:小村哲生)
「ストライクゾーン」で試合を続ける天使チームの監督をしている天使。語尾に「〜だホー」とつける口癖がある。悪魔チームの暴行によって天使チームのバッターが全てノックアウトされてしまい頭を抱えていた。そこでタケルのブーメランのコントロール力に感心し、急遽代打手に抜擢した。
ミスッタK(声:村上佳之)
悪魔で、「ストライクゾーン」で試合を続ける悪魔チームのピッチャー。語尾に「〜だけー」とつける口癖がある。元々は天使チームと同じくフェアプレーに基づく精神を有していたらしいが、「混沌」の影響によって凶暴化し、豪速Qと共に天使チームをラフプレーで倒し続けた。7魔性球という七つの得意技で、その中の1つが豪速Qを用いたものである。後に復活したバグYヤーによって豪速Qと共にゾーンの外まで吹っ飛ばされ、その後牢獄に収容された。
豪速Q(声:竹内順子)
グローブをつけた腕を持つ野球ボールの姿をした魔守で、ミスッタKが投げるボール。ミスッタKと同じく「混沌」によって凶暴化し、その豪腕で天使チームの選手を次々とノックアウトしていた。しかしタケルの奮闘によって復活したバグYヤーによって打ち返され、ミスッタKと共にゾーンの外まで吹っ飛ばされた。
満点才如(まんてんさいにょ)(声:本多知恵子)
「スクールゾーン」に建つ学校の先生で、数多くの天使属を育てた天使の女性。チョーク投げが的確にして強烈なのはお約束。「九分九鈴」というハンドベルを持っていて、それが鳴るのを聞いた者は願いが叶うと言う(しかし満点才如が言うには叶うのは1%で、99%は本人の努力らしい)。その後「スクールゾーン」を覆う「混沌」を退ける為に「カオスバスター」を予習太助と共に起動させた。しかし2号機は原動力にした「九分九鈴」ごと零天狗に破壊され、実際に「混沌」を撃ち抜いたのはオゾン僧侶を原動力とした1号である。また後に3号機が開発され、最終避難所となった「ヘルスゾーン」を守る為に出動している。
予習太助(よしゅうたすけ)(声:家富ヨウジ)
「スクールゾーン」の学校に通う機械の聖守。曰く学校始まって以来の優等生らしい。「次界卵」について調べた事があり、タケル達と初めてあった時はそのデータを入れたCD-ROMを無くしていた。その後「スクールゾーン」に「混沌」が押し寄せた時には「カオスバスター」を起動させ、「混沌」を撃ち抜こうとしたが、2号機では失敗して零天狗に行動不能にされた。その後に完成した3号機では操縦者となって最終避難所となった「ヘルスゾーン」を守る為に出動した。
巻忍具(かんにんぐ)(声:矢尾一樹)
「スクールゾーン」の学校に潜み、こそこそと悪戯する巻物の姿をした魔守。姿を消したりまきびしを撒いたりと忍者のような能力を持っている。バカラの命令で予習太助の「次界卵」の情報が入ったCD-ROMを奪おうとした。いまいち信用に欠く所があり、バカラに正確な情報を提供した時もまるで信じてもらえなかった。
来兎・弟(らいと・おとうと)(声:植木誠)
福陽気妃が開催した空中レースに参加していた飛行機乗りの聖守。「混沌」の調査に出かけて行方不明になった兄、来兎・兄を探しており、空中レースの優勝商品であった「次界卵」を手に入れて見つけようとした(実際は「次界蘭」だったが)。次界卵編最終回のエンディングでは「混沌」から解放された来兎・兄と共に空を飛んでいた。
戦闘鬼(せんとうき)(声:金子幸伸)
福陽気妃の空中レースに参加していた悪魔。凄まじく自己顕示欲の強い性格で、誰も自分の前にいる事を許さない。多数の捨てるッス達を引き連れ、空中レースを先行する相手は撃ち落とす。
捨てるッス(声:下崎紘史)
背中にステルス機の翼を持つ魔守。両手にはミサイル型の爆弾を持っており、それを正に捨てる様にして相手にぶつける。同じ姿をした魔守が多数存在し、それらは戦闘機の取り巻きであったり悪魔軍の兵隊であったりする。
不運試子(ふうんだめし)(声:永野善一)
「骨折りゾーン」に住む魔守。語尾に「〜だめし」とつける口癖がある。本人は気弱でいたって無害なのだが、彼の息には周囲の運気や「パッション指数」を下げる、使いようによっては「混沌」を広めるのにとても役立つ。後に中吉中吉と「赤い糸」によって結ばれ、御神籤仙人の聖守となった。後にかつては大凶魔1/100の魔守だったが袂を分かっており、彼が「ダイキョウゾーン」を創って「混沌」を広めようとした時は中吉中吉と共にそれを止めようとした。そして大凶魔1/100を倒す為に彼と同化し、不運の道連れにして彼の弱点を引き出した。その際に大凶魔1/100を通じて「魂壷」に吸収されたらしく、カリスマデビルが倒された後に復活している。
中吉中吉(なかよしちゅうきち)(声:尾小平志津香)
「骨折りゾーン」でタケル達と出会った御神籤仙人の聖守。とても温厚な性格で、喧嘩があると「中をとって〜」の言葉と共に仲裁しようと現れる。結び合わせた者達の仲を親密にする効果がある「赤い糸」を持っている。ポーチに「赤い糸」で不運試子と共に縛られてとても仲が良くなり、結ばれた。その後に大凶魔1/100の「混沌」拡大を止める為に「ダイキョウゾーン」に訪れている。その後は御神籤仙人の使者として争いを好まない悪魔属を集め、「月」に避難させていたようだ。
スター天帝(ーてんてい)(声:松崎しげる)
天使属に大人気な歌手の天使。聞く者の心を歌によって操れる程の歌唱力を持つスーパースターとして活躍していた。しかし悪トレスにたぶらかされ、聞く者に悪を薦め、「混沌」を呼び寄せる歌「アイアム悪の戦士」を歌いそうになった。だがスタイリス徒の真摯な態度で眼を覚まし、聞く者を正義に目覚めさせ、悪魔属を弱体化させる歌「アイアム愛の戦士」を歌い、最後にはタケル達を助けた。その後に自分を一途に想うスタイリス徒と婚約する。
ちなみに「アイアム悪の戦士」「アイアム愛の戦士」は実際にCD化されている。
スタイリス徒(ーと)(声:笠原弘子)
スター天帝のスタッフで、聖守の女性。眼鏡をかけ地味めだが美貌を持ち、下半身は魚に似ていて人魚の形態となっている。スター天帝を一途に想っており、悪トレスにたぶらかされた彼を心配していたが、迷帽子アーティス徒にクビにされる。その後「アイアム悪の戦士」を歌うスター天帝を懸命に説得して止めている。その後、秘めていた想いが伝わり、スター天帝から婚約を求められ、それを受けた。

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2009年03月10日

プラティハーラ朝

プラティハーラ朝(Pratihara)は、778年頃から1018年まで北インドを支配したラージプートの王朝で、イスラム勢力進出以前の北インドの最後の大王朝。

プラティハーラ朝は、ラジプターナ(Rajiputana)地方に定着して数王国を形成したグルジャラ族に属し、6世紀中ごろにでたハリチャンドラ(Harichandra)というバラモン出身の王を祖とし、数系統に分かれたプラティハーラ家のうちのひとつの分家であった。
月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

この家系からでたナーガパタ1世(Nagabhata?)は、パキスタン南部のシンド地方を征服したアラブ勢力の進出を阻止し、グルジャラ族の指導権を得た。ハルシャ・ヴァルダナののちのガンジス川流域の混乱に乗じて勢力を拡大し、ナーガパタ1世の兄弟の孫にあたるヴィツアラージャ(Vatsaraja ヴァトサラージャ/在位778年頃 - ?)は、遠征軍をベンガル方面に進め、パーラ朝の王、ダルマパーラと戦って、領土を東方に広げたが、ラーシュトラクータ朝のドウルヴァと戦って敗れた。

ナーガパタ2世(在位805年 - 833年頃)の時代に、王朝は勢力を挽回し、その領域を東西に拡大し、パーラ朝を破って、その保護下にあった北インドの中心都市カナウジを占領して首都としたが、ラーシュトラクータ朝のゴーヴィンダ3世と戦って敗れた。王朝を再興したのはナーガパタ2世の孫、ボージャ1世(Bhoja?Mihira/在位836年 - 885年頃)である。836年頃、カナウジで即位式をあげ、征服事業を開始し、北はヒマラヤ山麓、南はナルマダー川、東はベンガルのパーラ朝の領域を除いて北インドの大部分を支配した。また、ラーシュトラクータ朝にナルマダー河畔で辛勝して、海上交易の拠点であり北インドの商品の西アジアへの出入り口であったグジャラートを獲得した。当時の様子について、アラブ人旅行者の述べるところでは、インドで最も優秀な騎兵軍を持っていたという。また、一度は敗れたパーラ朝に対し、デーヴァパーラがなくなって弱体化したところを攻めて、東方へも領域を拡大し、北インドの大部分を支配するにいたった。

この繁栄は、息子のマヘンドラパーラ1世(Mahendrapala?/在位885年頃 - 909年)の治世まで維持された。10世紀前半にラーシュトラクータ朝に攻撃され、グジャラートを失い衰退した。10世紀は、マールワのパラマーラ朝やチャンデーラ朝など支配下にあった諸侯が次々と独立の動きを見せ、分裂弱体化の一途をたどり、1018年にガズニ朝のスルタン、マフムードの攻撃を受けて滅亡した。

プラティハーラ朝がインド史において果たした最大の役割は、イスラム勢力のシンド以東への進出をほぼ300年にわたって阻止し続けてきたことである、という研究者もいる。

2009年02月22日

竜脚下目(りゆうきやくかもく、Sauropoda)

竜脚下目(りゆうきやくかもく、Sauropoda)は、ディプロドクス、アパトサウルス、ブラキオサウルスなどに代表される長い頸を持った非常に体の大きい草食恐竜の分類群であり、プラテオサウルスに代表される古竜脚下目 (Prosauropoda) とともに竜脚形亜目の一グループである。アパトサウルスの別名であるブロントサウルス(雷トカゲの意味)にちなみカミナリ竜と呼ばれることもある。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

体長30 m超の史上最大の陸上動物を含むグループであるが、中には5 m以下の小型の種もいた。

Sauropoda(トカゲの足)という名称だが、どちらかというとゾウのような大型哺乳類に似ている。指は5本ありこれは恐竜としては最も原始的な特徴になる。

中生代ジュラ紀前期から白亜紀後期(ただし地域によってはより早い時期に絶滅)。

恐竜時代の極めて早い段階に発生し、ジュラ紀後期に全盛期を迎えた。この時期全長30メートル超級の超大型種が現われている。

しかし白亜紀に入ると北半球では鳥盤類の新しいタイプの草食恐竜が台頭し、入れ替わるように竜脚類は衰退し、一部の地域では一旦は絶滅した。

しかし南半球ではティタノサウルス類が繁栄を続け、多様な進化を遂げた。中には北半球に再進出したものもある。

恐竜時代の早い段階からその終末まで繁栄した稀有なグループである。

長い首
竜脚類の長い首は、かつて(巨体を地上では支えられないとの考えから)半水中生活を送る彼等が水面上に顔を出して呼吸する為の適応だとされていたが、後に水圧で肺が圧迫される事から物理的に不可能であるとされた。その後高い木々の葉を食べる為にキリンのように立てていたと考えられたが、そうした体型だと、脳に血液を循環させる為に胸からはみ出るほど巨大な心臓が必要になるとの批判を受けるようになった。

そこで現在では、地面に対して水平に首を伸ばした形で復元される事が多くなっている。こうすることで血圧の問題が解決され、また吊橋的な構造で楽に首を支える事ができると考えられている。

大型竜脚類が、かつて比較的乾燥していた地域から相次いで発見された事も、この説を裏付ける根拠となった。まばらに低木の生えた乾燥した地域で、竜脚類は長い首を大きく左右に振ることで巨体を動かす事無く広大な面積の食料を独占する戦略をとっていたのではないかといわれている。下記の慣性恒温説と合わせ、竜脚類はその巨体に似合わず省エネ構造の動物で、長い首もその一貫としての進化ではないかと考えられるようになった。

ただ、首に数個の補助心臓を持っていれば、キリンのように首を上げる事も可能であるとの説もある。

恒温か変温か
恐竜の恒温説が有力になっている現在、竜脚類に関しては逆に変温説の巻き返しが見られる。

竜脚類ほどの巨大な種が恒温となると莫大な食料や巨大な心臓が必要となる等の問題点が多く、これらの問題がクリアできる変温説がにわかに見直されている。

特に注目を集めているのが慣性恒温説で、哺乳類のような体温調整機能がなくとも巨大な竜脚類の体温は下がりにくく、運動熱や腸内菌の発酵熱、日光等の熱を体内に蓄えるだけで体温をほぼ一定に保てたのではないかとされている。一方、恒温になると逆に熱を逃がす手段が問題となると考えられている。

変温動物であると、食料の面でもメリットが大きい。ある試算では、最大級の竜脚類でも象と同程度の食料で生活できたと言われている。

ただし、異論もある。現生の陸生内温動物で、最も大きいアフリカゾウは大きいもので12tに達し、古代では20tに達する哺乳類のバルキテリウムの例もあり、中型の竜脚類に匹敵した。巨大な内温動物も決して存在不可能と言うわけではない。

下位分類、主な属
竜脚形亜目(Sauropodomorpha)

古竜脚下目( Prosauropoda)
プラテオサウルス(Plateoaurus)
アンキサウルス(Anchisaurus)
竜脚下目(Sauropoda)
ブルカノドン(Vulcanodon)
ケティオサウルス科(Cetiosauridae)
ケティオサウルス(Cetiosaurus)
シュノサウルス(Shunosaurus)
マメンチサウルス科(Mamenchisauride)
マメンチサウルス(Mamenchisaurus)
オメイサウルス(Omeisaurus)
新竜脚類(Neosauropoda)
ジョバリア(Jobaria)
ディプロドクス上科(Diplodocoidae)
ディプロドクス科(Diplosauridae)
ディプロドクス(セイスモサウルスを含む)(Diplodocus)
アパトサウルス(=ブロントサウルス)(Apatosaurus)
スーパーサウルス(Supersaurus)
ディクラエオサウルス科(Dicraeosauridae)
ディクラエオサウルス(Dicraeosaurus)
アマルガサウルス(Amargasaurus)
ティタノサウルス形類(Titanosauriformes)
カマラサウルス(Camarasaurus)
ティタノサウルス上科(Titanosauroidae)
エウヘロプス(Euhelopus)
ブラキオサウルス(ウルトラサウロスを含む)(Brachiosaurus)
ティタノサウルス科(Titanosauride)
ティタノサウルス(Titanosaurus)
アルゼンチノサウルス(Argentinosaurus)
アラモサウルス(Alamosaurus)
サルタサウルス(Saltasaurus)
ラペトサウルス(Rapetosaurus)
ネメグトサウルス(Nemegtosaurus)
マラウィーサウルス(Malawisaurus)

2009年02月06日

ソウルシリーズ(Soul series)

ソウルシリーズ(Soul series)は、ナムコ(バンダイナムコゲームス)から業務用ならびに家庭用で発売されているコンピュータゲームシリーズ。
ン新世紀 パートナ フコキ センター 真実の愛 オクシ ピンク バッハ マーケッ イスト バッテラ ショットバ レーシ ストラ パンク テレック オクシ スイッチ イエローサ バレル プノンペン 旅への扉 ロック しょうなん ベール スポイト こごみ グース ビンデ ロブス シャーレ リビエラ レーム ガクア スピン ラムネ カナキン トロポニン データフ ほろのべ マイセン テンポラリ きょうきょ ピングカー ザイソ ズロース プレート チュービ ンチェーン シラカン

人の魂を喰らう邪剣「ソウルエッジ」と、それを破壊するために創られた霊剣「ソウルキャリバー」を巡り、個性豊かなキャラクター達が死闘を繰り広げる「3D武器格闘ゲーム」で、2005年11月23日発売の『ソウルキャリバーIII』以降は「剣劇対戦アクション」というジャンルに変更されている。元々は業務用ゲームから始まったシリーズだが、家庭用ゲーム機向けにも展開されている。

家庭用ゲーム機に対しては、それぞれの時代を象徴する機種で発売、シリーズ化されている。人気のあるシリーズとなっており、(2008年現在)全世界でシリーズ通算800万本以上(業務用は除外)を売り上げている。単発作品では剣劇を扱った作品もいくつか存在しているが、2008年現在においてシリーズ化され存続している3Dで武器を扱った格闘ゲームとしては、唯一といってもよいシリーズである。

2008年現在、『ソウルエッジ』(以下エッジ)という名称を使用した作品は1996年発売の『エッジ』以後リリースされていない。しかし、1998年以降ナムコから定期的にリリースされているシリーズ作品である対戦格闘ゲーム『ソウルキャリバー』(以下キャリバー)は、ストーリー上『エッジ』の直接的続編であり、ゲームシステムにおいても改良されて引き継がれているものが存在する。よって本作も現在では『キャリバー』シリーズに組み込まれた形で扱われ、『エッジ』『キャリバー』全てを含めて“ソウルシリーズ”と呼ばれるのが一般的となっている。

開発チームはPROJECT SOUL。シンボルマークは、白い正三角形に黒のナイトメア(一部は赤)のシルエット。キャリバーIIIからこの開発チームを名乗っている。

略歴
1996年4月: ソウルエッジがアーケードで稼動開始
1996年6月: ソウルエッジ Ver.2 がアーケードで稼動開始
1996年12月20日: ソウルエッジがプレイステーションで発売
1998年7月30日: ソウルキャリバーがアーケードで稼動開始
1999年8月5日: ソウルキャリバーがドリームキャストで発売
2002年7月10日: ソウルキャリバーIIがアーケードで稼動開始
2002年9月14日: ソウルキャリバーII Ver.D がアーケードで稼動開始
2003年3月27日: ソウルキャリバーII がPS2・GC・Xboxで発売
2005年11月23日: ソウルキャリバーIIIがプレイステーション2 で発売
2006年4月3日: ソウルキャリバーIII Arcade Edition がアーケードで稼動開始
2006年4月27日: ソウルキャリバーIII Arcade Edition Ver.B がアーケードで稼動開始
2007年12月13日: ソウルキャリバーレジェンズがWiiで発売
2008年7月2日: ソウルキャリバーがXbox 360 Live Arcade で配信開始
2008年7月31日: ソウルキャリバーIVがプレイステーション3・Xbox 360 で発売

世界設定
16世紀の主にヨーロッパ・アジアを舞台としている。

ソウルエッジ
邪剣ソウルエッジは、人の魂を喰らう邪悪な意思と力を持った剣である。しかし、邪悪な剣であることはあまり知られておらず、また、強大な力を持つため、探し求める者が後を絶たない。よほど強い意志を持たない限り、手に取った者は剣に意識を支配されてしまう。ソウルエッジは自身を強化するため、持ち主の理性を奪い殺戮を繰り返させる。また、持ち主に合わせて姿を変えることが出来る。元々は普通の一本の剣であったが実戦で使われるうちに邪気を持つようになった。長い歴史の中で、ときおり人々の前に姿を現しては猛威を振るってきた。

→ (エッジ) 二本一組に姿を変えたソウルエッジをセルバンテスが持っている。
(エッジ) → (1) 一本は、ソフィーティアによって破壊され欠片として散らばった。残るもう一本は、後から来たジークフリートが手に取った。このとき、ジークフリートはナイトメアと化し、イヴィルスパームと呼ばれる怪奇現象を引き起した。散らばった一片をタキが持ち去り刀(滅鬼丸)に埋め込んだ。
(1) → (2) ナイトメア (ジークフリート) が持っているソウルエッジがシャンファによって破壊される。正気を取り戻したジークフリートはソウルエッジを人里離れたところに捨てようと逃亡するうちに、力を取り戻したソウルエッジ (♂) に再び支配される。この逃亡でソウルエッジの欠片をばらまくことにもなりその一部が御剣の手に渡った一方で、セルバンテスは欠片を集めてソウルエッジ (♀) を復元した。
(2) → (3) ラファエルとの戦闘でソウルエッジ (♂) が損傷したことでジークフリートはソウルエッジの支配から解放され、とつぜん現れたソウルキャリバーをとっさにソウルエッジ (♂) に突き刺したことで、ソウルエッジ (♂) が封印される。その後も、突き刺さされた状態のソウルエッジをジークフリートが持っている。もう片方のソウルエッジ (♀) はセルバンテスが引き続き持っている。ナイトメアはソウルエッジを失ったものの、ザサラメールによって力を与えられて、実体の無いソウルエッジで殺戮を繰り返す。
(3) → (4) 熾烈を極めるナイトメアとジークフリートの戦いにより、ソウルエッジ(♂)はナイトメアの手に渡る。また、散らばった欠片はソウルエッジに引きよせられていく。ソウルエッジ(♀)も例外ではなく、セルバンテスはあえてソウルエッジ(♀)を手放し、一つになったところを奪うことを画策する。

ソウルキャリバー
霊剣ソウルキャリバーは、ソウルエッジを封印する目的で作られた剣である。身をもってソウルエッジの危険性を知った英雄王が国家事業として製作に取り組み、自らの命と引き換えに完成させた。浄化したソウルエッジの欠片が使用されている。長い歴史の中で、ある一族によって守り伝えられ、ソウルエッジが姿を現すたびにソウルキャリバーによって封印してきた。ソウルエッジと異なり存在自体があまり知られておらず、また力の本質が実はソウルエッジと同じであることはごく一部の者しか知らない。経緯は不明だが、近年では真行山臨勝寺で保管されていた。

→ (1) 「護法剣」の名で真行山臨勝寺で伝えられていたが外に持ち出され、シャンファが母の形見の剣として持つに至る。
(1) → (2) シャンファの「護法剣」がソウルキャリバーとしての力を発揮しソウルエッジを破壊するが、ソウルエッジによる異空間に封印される。
(2) → (3) ソウルエッジ (♂) が損傷したことでソウルキャリバーは異空間から開放され、ジークフリートはソウルキャリバーをソウルエッジ (♂) に突き刺して、ソウルエッジ (♂) を封印する。その後、突き刺さった状態のソウルキャリバーをジークフリートが持っている。
(3) → (4) ナイトメアとの戦いで深手を負うもののソウルキャリバーの力によりジークフリートは助かる。ソウルキャリバーは引き続きジークフリートが所有している。

イヴィルスパーム
世界中に影響をもたらした怪奇現象である。地上から空に向かう光の柱が出現し、空から光の束が世界中に降り注いだ。この光の正体は、ジークフリートがソウルエッジを手に取ったことで、暴走したソウルエッジから放たれた大量の邪気である。この邪気を含む光を浴びた者はイヴィル化してしまい、その症状はひどいときには自我を失い破壊衝動に駆られ殺し合いを始めてしまうことである。また、そこまでに至らず自我を保っている場合でも、昼日中に感じる気だるい感覚と、夜が更けると発作的に生じる強烈な渇きに悩まされることになる。更に、イヴィル化した者は、色艶を失った肌と妖しげな輝きを見せる瞳の色、強い自然治癒力を持つなどの特徴から迫害の対象となる。

2009年01月22日

報道被害(ほうどうひがい)

報道被害(ほうどうひがい)とは、マスメディアが犯罪等の事件や出来事を報道する時、誤報、行き過ぎの報道により、被報道者の生活基盤、人間関係、名誉などを破壊してしまうことをいう。メディア・パニッシュメント(報道断罪)はこの一つ。

事実に基づく報道であっても、作為的な編集や誇張による偏向報道、それらによる意図的な社会的制裁によって、一部を見聞きした人が誤認してしまう場合がある。

例えば週刊誌の広告における「見出し」や、スポーツ新聞・夕刊紙の「トップ記事」は、ある種の「誤解」を覚悟、または計算して、センセーショナルな見出しを付ける場合が多く、これらを目にした人が、本文を読まずに誤認したままとなるケースが少なくない。

誤報や誤解を生じる内容であった事が明らかになっても訂正されなかったり、また訂正文が掲載されても、先の本文ほどには目立たない形で書かれる傾向にある。その為、必ずしも被害者の不名誉が払拭されるとは言い難い。最近では丸々1ページに訂正謝罪文を掲載せよと求める損害賠償請求訴訟が起こされ、認容される例も多い。

また、報道被害を受けた者が、その報道の根拠として情報源の開示を要求しても、「取材情報源の秘匿」を理由に拒否される場合が多く、被害者の「身の潔白」の証明を阻害する要因となっている。

報道の自由と人権侵害
人は真実を知る権利と同様に、私的秘密を守る権利も持っている。よって知る権利と被報道者のプライバシーのどちらを優先させるべきかは非常に難しい問題である。但し、「知る権利」は未だ確立された権利とまでは言えず、私人に行使する場合には内容の公共性、公益性のみならず、プライバシー領域にまで踏み込む必要性も検討する必要がある。

また社会的注目度の高い犯罪を起こしたという「疑惑」を、大々的かつ継続的に報道された場合、無罪確定後や無実が確認された後も疑いの目を持たれ続ける事がある(ロス疑惑・松本サリン事件等)。 また日本のマスコミは、「逮捕イコール有罪・犯罪者」的スタンスで報道する事が多く、無罪判決や誤認逮捕が判明した場合でも、既に失職や離婚等の被害を受けている例がある。 これらの結果、法的・形式的には名誉回復という形になっても、長期にわたり偏見に晒され続けた結果「社会的抹殺」に等しい状況に追い込まれ、たとえこの被害を争点とした裁判に勝訴したところで失われた元の生活には戻れないというケースも多い(参考:痴漢冤罪)。

また「○○容疑者は精神科への通院歴がある」という旨の報道は、あたかも「精神障害者や通院歴を持つ者は犯罪予備軍」であるかの様な印象を与え、患者の人権を侵害する懸念がある。

インターネットと報道被害
インターネット(ウェブサイト、メールマガジン、ブログ)上に流れる情報は玉石混淆であり、噂話レベルの情報があたかも真実である様に語られるケースがあり、なかには捏造あるいは想像や妄想、事実誤認であったり、面白おかしく脚色されていたり、意図的な歪曲を含んでいるケースもある。 マスメディアがその様な情報を二次利用した場合、伝播速度・範囲が飛躍的に増加し、ネット上に留まっている場合(風評被害)とは比較にならないほど被害規模が拡大し、質的にも深刻化する。

また、マスメディアが「電子掲示板に報道対象の人物の書き込みがあった」と紹介することで、興味本位の訪問者が増え、掲示板の運営者に負担をかける事がある。近年では「おたくバッシング」やブログの訪問者のカウント数上昇、あるいはアフィリエイトの利用促進などを目的に、その件とは全く無関係の人物が書き込みをした虚偽のセンセーショナルな内容が、まず大型掲示板群等に転載され、それを見た大手マスメディアによって検証も行われないままに転載、報道されるケースなどもある。
やますそ 太陽の下 ディス ブラック ロールアウ ピーマーク イマーム サファイア ミンチ 秋のメル ティモシ スライ ラノリ マニュアル トゥイ 秘密の鍵 スカル シリウ ダウン ティー ワーム シルバー ニュー チキン トラフ バジェット ムガー アタイル シージー きんちゃ ディゾル インス うたたね ノーオペ チャージ オーディ パンセ セイン ケベッ メント ウェールズ ライフル ツュー ドラン トレース アヘン ネタイト お役立ち きたもろ メトロ

逆に、最初から世間の注目を集める事を目的に、ニュース関連の掲示板などへ転載したり、マスコミの記事になる事を期待して、意図的にセンセーショナルな文面作りを行うサイト管理者やブログ所有者も現れている。

報道被害の例
三億円事件
イエスの方舟事件
松本サリン事件
桶川ストーカー殺人事件
ニュースステーションにおける「所沢農薬野菜」報道
イラク日本人人質事件
福岡一家4人殺害事件
香川・坂出3人殺害事件
フライデー襲撃事件
TBS不二家捏造報道問題(みのもんたの朝ズバッ!など)

2009年01月15日

中国民衆の間に深く浸透している世界観

封神演義の物語は、中国民衆の間に深く浸透している世界観(道教や神仙思想、仏教、などが深く絡み合った中国独特の宇宙観)を多少とも知っていることが、それを理解する早道となるが、編者に道教・神仙思想・仏教の知識が乏しかったと推定されているため、一般的な道教からみると多分に疑問な記述が多い。編者は特に歴史知識に疎かったらしく、唐の武将李靖を殷代に登場させるという誤りを犯しているという指摘がある。

封神演義の世界において、世界は仙界と人界に分かれ、仙界はさらに、人間からなった仙人・道士達からなる崑崙山の仙道「闡教(せんきょう)」と、それ以外の動物・植物・森羅万象に由来する仙道「截教(せっきょう)」とに二分されていた。

人界では時は商(殷)の紂王の治世。名君と呼ばれた紂王はその心に兆した慢心から、女媧廟の祭祀において女媧への無礼にあたるふるまいを行った。すなわち、女媧は人間界のどの人間より美しい、この女媧が私のものであったら良いという意の詩を読んだわけである。この、紂王の「人」と「神」を混同した行動に女媧は怒り、千年生きた狐狸の精に紂王を陥れるよう命じた。狐狸精は、紂王の後宮に入ることになっていた美女、冀州侯の娘・妲己の魂魄を滅ぼしてその身体を手に入れ、紂王を籠絡し始めた。これ以降紂王は、妲己に操られるまま次第に暴政を行うようになっていった。

一方仙界では、闡教の教主・元始天尊門下の十二人、つまり崑崙の十二大仙が、千五百年に一度の逃れられぬ劫として、人を殺さねばならないという罰を受けることになった。また昊天上帝(天帝)が彼ら十二人を臣下に命じたことから、商周革命に関わる闡教徒、截教徒、人道の中から三百六十五位の『神』を『封(ほう)』じる『封神』の儀式を行うことになった。

天命により、この封神の執行者として選ばれたのが、崑崙の道士の一人であった姜子牙……後に周国の丞相となる太公望である。

斯くして商代末期の商周革命の動乱を舞台に、四不相(四不像)に乗った姜子牙(太公望)がまきおこす商周両国の間の戦乱、ひいては闡教と截教の対立が描かれながら、数多くの仙人、道士の魂魄が封神榜の掲げられた「封神台」へと飛んでいくこととなる。


姜子牙(きょう しが) / 姜尚(きょう しょう)(通称は太公望(たいこう ぼう))
本作品の主人公。元始天尊の弟子。師の命令で下山し、周を助けて商を討ち、三百六十五人の神を封じる。
姫昌(き しょう) / 文王(ぶんおう)
四大諸侯の一人で、西伯侯。占いの名人で、後に周の文王となり、姜子牙を迎え入れる。
散宜生(さん ぎせい)
周の文官。
武王(ぶおう) / 姫発(き はつ)
姫昌の次子。父の後を継いで周の武王を名乗り、商を討つ。
姫伯邑考(き はくゆうこう)
姫昌の長子。幽閉された父を救うために朝歌を訪れるが、妲己の策略により刑死する。
周公旦(しゅうこう たん) / 姫旦(き たん)
姫昌の第四子。
雷震子(らいしんし)
姫昌の養子で、第百子にあたる。雲中子の弟子。杏を食べたことにより鷲のような大翼を得て、周を援けた。
武吉(ぶ きつ / ぶ きち〔安能版〕)
木こり。殺人の罪で処刑されようとしたところを姜子牙に救われ、彼の弟子になる。
竜鬚虎(りゅうしゅこ)
妖怪。申公豹に騙されて姜子牙の肉を食おうとしたが、杏黄旗によって収められ、姜子牙の弟子となる。大石をイナゴの大群のように飛ばすことができる。
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

商(殷)
紂王(ちゅう おう)
商の天子。女媧宮を詣でた際、女媧の像を見て淫らな思いを起こし詩を書き残したため、女媧の怒りを買ってしまった。名君であったが、妲己を娶ってから酒色に溺れ暴政を行うようになる。
蘇妲己(そ だっき) / 千年狐狸精(せんねんこりせい)
紂王の妃。その正体は冀州侯蘇護の娘の姿に化けた千年狐狸精で、女媧の命を受けて商王朝の命数を縮めるために残虐な行為を繰り返す。
封神演義の原文には『蘇妲己』と表記されているが、春秋以前の時代の婦女子は姓より先に名前が来るのが通常であり、『史記』殷本紀の注にも「妲は字にして姓は己であり」と記されている。そのため、姓を蘇とし名を妲己とする封神演義の表記は本来は誤りである。
聞仲(ぶん ちゅう / もん ちゅう〔安能版〕)
商の太師。商軍を率いて西岐を攻める。師である金霊聖母から『絶』の字を避けるように言われていたが、敗走中に絶竜嶺にたどり着いてしまい、そこで雲中子と燃灯道人と戦って命を落とした。額に第三の瞳を持つ。
商容(しょう よう)
商の宰相。官職を辞して一時は朝歌を離れるが、後に逃亡中の殷郊が自宅を訪れたため、再び都に戻って紂王を諌めた。紂王に処刑を命じられたが、自ら石柱に頭をぶつけて自害する。
比干(ひ かん)
商の亜相。紂王の叔父。妲己の持病の治療のために紂王から『玲瓏心』を求められ、心臓を抜き取られて死亡した。
費仲(ひ ちゅう)
中諫大夫。奸臣。蘇護が賄賂を送らなかったため、彼の娘の妲己が絶世の美女であることを紂王に教え、娶るように勧めた。また妲己の密命を受け、姜皇后に紂王暗殺の濡れ衣を着せる計略を企てた。後に、文官であるにも関わらず魯雄率いる西伐軍に加わるよう聞仲から命じられ、西岐の地で命を落とした。
尤渾(ゆう こん)
奸臣。費仲同様、魯雄率いる西伐軍に加わるよう命じられ、西岐の地で命を落とした。
箕子(き し)
商の文官。紂王の叔父。王を諫めるも、投獄されて断髪される。
微子啓(びし けい)
商の文官。紂王の異母兄。王を諫めるも、挫折し、弟と共に商の祖廟を守って離反。
微子衍(びし えん)
商の文官。紂王の異母兄。王を諫めるも、挫折し、兄と共に商の祖廟を守って離反。
杜元銑(と げんせん)
商の司天台。雲中子の剣の献上の件で、宮殿を取り巻く妖気の原因が妲己であると気づく。王を諌めるも、処刑された。
梅伯(ばい はく)
商の上大夫。杜元銑の処刑が決定した際に王を諫めるも、炮烙にて処刑された。
姜妃(きょう ひ)
紂王の皇后。妲己の策略により紂王暗殺の濡れ衣を着せられ、両指を焼かれ片目を抜かれるといった拷問を受けた後、死を遂げる。
殷郊(いん こう)
商の太子で紂王と姜妃の間にできた長男。処刑される直前に風にさらわれ、広成子の弟子になる。後に三面六臂の姿となり、周を援けるために下山するが、申公豹に唆されて商軍に加わった。下山前に立てた「もし過てば、鋤で頭を落とされても構わない」という誓い通りの方法で処刑される。
殷洪(いん こう)
紂王と姜妃の間にできた次男。処刑される直前に風にさらわれ、赤精子の弟子になる。周を援けるために下山するが、申公豹に唆されて商軍に加わった。下山前に立てた「もし過てば、四肢を灰にされても構わない」という誓い通りの方法で処刑される。
武庚(ぶ こう)
商の王子。紂王の子。朝歌が落城した際に周兵によって捕らえられる。諸侯と姜子牙は武庚を処刑するよう武王に勧めたが、武王は成湯の血が絶えるのを避けるため彼を殺さず一領地を与えた。
安能版では妲己の侍女・鯀捐の子ということになっていたが、これは原作には存在しない設定である。
賈氏(かし / こし)
黄飛虎の妻。妲己の策略にあい、自らの身の潔白と黄家を守るために自害した。
黄氏(こう し) / 黄貴妃(こうきひ)
紂王の妃。黄飛虎の妹。義姉に当たる賈氏とは仲が良かった。
賈氏の死を嘆いて紂王に暴挙を振るい、墜落死する(作品によって死に方がまちまち)。
崇侯虎(すう こうこ)
四大諸侯の一人で北伯侯。四大諸侯の中では唯一、紂王に取り入っている悪役である。史実では殷に味方して周に歯向かった諸侯。
安能版では誤って、崇侯虎ではなく崇候虎と表記されている。
崇応彪(すう おうひょう)
崇侯虎の嗣子。
魔家四将(まかししょう)
佳夢関を守る四兄弟。聞仲の命により守備を胡昇と交代し、西岐を攻めた。
魔礼青(ま れいせい)
長兄。青雲剣と呼ばれる剣を持ち、これを振って、何万もの刃と矛を巻き起こす黒風を発生させる。
魔礼紅(ま れいこう)
次兄。混元傘と呼ばれる傘を持ち、これを開いて、天地を揺るがし炎を発生させる。
魔礼紅は第九十九回で広目天王に封じられるが、そのときの記述では琵琶を用いて調を司るとあり、最初の設定と矛盾が生じている。
魔礼海(ま れいかい)
三兄。地・水・火・風を司る四弦が張られた琵琶を持ち、これをかき鳴らして、風火を発生させる。
魔礼海は第九十九回で多文天王に封じられるが、そのときの記述では傘を用いて雨を司るとあり、最初の設定と矛盾が生じている。また、多『聞』天王ではなく多『文』天王と記述されているのは、多聞天が毘沙門天(托塔李天王である李靖)と重なる神格であり、作品内で同一人物が登場する不自然さを避けるための作者の作為的書き換えだとする説がある。