シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は
1864年、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題は、デンマークによる新王朝グリュクスボー朝が、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の継承を宣言した事から、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争は再開された。この頃、すでにデンマークを除く北欧諸国の政府及び政治家たちは、汎スカンディナヴィア主義に対しては冷淡となっていた。スウェーデン政府は、国王の政治問題への介入を、民主政治に対する越権行為であると考えていた。カール15世は、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に対して参戦する意志を表明したが、政府は拒絶し、ここに汎スカンディナヴィア主義の理念は消滅した。これら全てを見切っていたプロイセンのビスマルク外交の前に、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争はデンマークの大敗に終り、汎スカンディナヴィア主義運動は潰えた。北欧統一の夢は、厳しい国際社会の現実の前には無力であったのである。この帰結は、北欧各国の自立化へと向い、以後、北欧は、よりクレバーな形での重武装中立主義へと変遷して行った。1905年のノルウェー独立は、その一因と言える。
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なお、1872年に即位したスウェーデン王オスカル2世は、ドイツ帝国による「汎ゲルマン主義」に傾倒している。これは、形を変えた汎スカンディナヴィア主義の表れであったと同時に、北欧の団結と統一を拒絶した、スウェーデン政府への抵抗であった。
北欧諸国の連帯が実現するのは1世紀経った1952年の北欧理事会設立まで待たねばならなかった。